古山高麗雄年譜

芥川賞受賞

少年時代
大正9年(1920)
8月6日、朝鮮新義州で出生。父佐十郎は開業医で宮城県七ヶ宿町出身。
昭和2年(1927)7歳
新義州小学校に入学。
学生時代
昭和13年(1938)18歳
新義州中学校を卒業、第二高等学校理科を受験したが不合格。城北高等補修学校に通う。
昭和14年(1939)19歳
第二高等学校を再度受験したが不合格。城北高等補修学校で、安岡章太郎と知り合う。
昭和15年(1940)20歳
第三高等学校文科丙類に入る。
昭和16年(1941)21歳
第三高等学校を退学、東京に戻る。7月3日に母死亡。
戦中時代
昭和17年(1942)22歳
4月、徴兵検査を受け第二乙種合格。10月1日、仙台の歩兵第四聯隊に入隊。この月父佐十郎、朝鮮から別府市に引き揚げる。
昭和18年(1943)23歳
第二師団司令部に転属、南方に出兵。7月7日、マニラに上陸。10月、マライのクアラルンプールに移り駐屯。
昭和19年(1944)24歳
1月、ビルマに転じ、ネパーン村に駐屯。8月、断作戦に参加、中国雲南省に出動。
昭和20年(1945)25歳
2月、カンボジアのプノンペンに移動。3月、明号作戦に参加。4月、ベトナムのサイゴンに移動。5月、捕虜収容所に転属、ラオスに行く。終戦後、ポツダム上等兵昇進。
自立へ向けて
昭和21年(1946)26歳
3月、捕虜収容所に勤務したため戦犯容疑者として、チーホア監獄に拘置される。8月、サイゴン中央刑務所に移される。
昭和22年(1947)27歳
4月、禁固8ヶ月の判決を受けたが、未決通算により裁判の翌日釈放され、カンホイの日本人キャンプで暮らす。11月、復員。別府市を訪ねて、親類から父の病死を聞かされる。(昭和21年宮城県七ヶ宿村で死亡)
昭和23年(1948)28歳
5月、財団法人日本映画教育協会に就職する。
昭和24年(1949)29歳
10月、松浪明子と結婚する。
文学活動へ
昭和25年(1950)30歳
5月、日本映画教育協会を辞め、河出書房に入社。8月、長女千佳子出生。
昭和26年(1951)31歳
三田文学を通じ安岡章太郎の所在を知り、10年ぶりに再会。
昭和32年(1957)37歳
河出書房倒産、同社退職。
昭和33年(1958)38歳
教育出版株式会社の嘱託となり、中学校の国語教科書編集に従事する。
昭和37年(1962)42歳
2月、教育出版株式会社を辞し、株式会社芸術生活に入社、「芸術生活」の編集に従事。
昭和40年(1965)45歳
相模原市に移転する。
昭和42年(1967)47歳
遠山一行、江藤淳、高階秀爾企画した「季刊藝術」に同人として参加し、4月、創刊号を出す。10月、芸術生活社を辞し、「季刊藝術」の編集に専従する。
昭和44年(1969)49歳
江藤淳に進められて、『墓地で』を書き「季刊藝術」第十号に発表する。
芥川賞作家
として
昭和45年(1970)50歳
4月、「文藝」に『プレオー8の夜明け』を発表する。7月、『プレオー8の夜明け』で第63回芥川賞受賞。8月、『プレオー8夜明け』を講談社より刊行。
昭和47年(1972)52歳
10月、「文藝」に『小さな市街図』を発表する。11月、ソビエト作家同盟の招待旅行に、日本文芸協会代表として、原卓也、後藤明生と共に出かける。『小さな市街図』を河出書房新社より刊行。
昭和48年(1973)53歳
1月、『小さな市街図』で藝術選奨新人賞を受ける。
昭和49年(1974)54歳
4月、「小説現代」に『今朝太郎渡世旅』を連載する(51年1月、第8話までで完結)。
昭和51年(1976)56歳
3月、『今朝太郎渡世旅』を講談社より刊行。
昭和52年(1977)57歳
4月、「季刊藝術」に『点鬼簿』の通しタイトルで連載する(7回)。
昭和54年(1979)59歳
3月、『点鬼簿』を講談社より刊行。季刊藝術社を退社。
昭和56年(1989)61歳
4月、「文学界」に『断作戦』を連載する(57年7月完結)。
昭和57年(1982)62歳
11月、『断作戦』を文藝春秋より刊行。
新たな
文学活動へ
昭和58年(1983)63歳
8月、東北地方に取材旅行に行く。11月、「文學界」に『龍陵会戦』を連載する(60年8月完結)。
昭和59年(1984)64歳
5月、『一つの釜の飯』を小沢書店より刊行。
昭和60年(1985)65歳
11月、『龍陵会戦』を文藝春秋より刊行。
平成2年(1990)70歳
10月、『船を待ちながら』を福武書店より刊行。
平成3年(1991)71歳
3月、「群像」に『七ヶ宿村』を発表する。
平成5年(1993)73歳
5月、「新潮」に『セミの追憶』を発表する。9月、『セミの追憶』で第21回川端康成文学賞受賞。
平成6年(1994)74歳
9月、『セミの追憶』を新潮社より刊行。
平成9年(1996)76歳
6月、『真吾の恋人』を新潮社より刊行。
平成9年(1997)77歳
5月、「文學界」に『フーコン戦記』の連載を始める。『断作戦』、『龍陵会戦』に続く戦争長編小説の三部である。
平成10年(1998)78歳
4月、ミャンマーに取材旅行。
7月〜10月、『私のフーコン旅行記』を「諸君!」に連載。
平成11年(1999)79歳
10月、妻、明子逝去。
11月、『フーコン戦記』を文藝春秋より刊行。
平成12年(2000)80歳
12月、『断作戦』『龍陵会戦』『フーコン戦記』の三部作により第48回菊池寛賞受賞。
平成13年(2001)81歳
4月、「遺書」を文學界の発表。
5月、『二十三の戦争短編小説』を文藝春秋より刊行。
7月、『反時代的・反教養的・反叙情的・必ず何かいいものがある』をベストセラーズより刊行。
11月、「来し方ばかり」を新潮に発表。
平成14年(2002)
1月、「孤独死」を東京新聞に発表。
2月、「物皆物申し候」を文學界に発表。
3月11日、逝去 享年81歳
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